ツイッターや、それを引き継いだ #Mastodon の #ハッシュタグ は、あまり良くない。Mastodon は全員全文検索を提供しない事でハッシュタグの任務をツイッターより巨大化したけど、ハッシュタグの悪い所をそのままにしている。
・ そもそもタグみたいなメタ情報は、本文の作成とは別の工程で設定すべき。今の Mastodon は加筆編集が可能なのでマシだけど、タグの付け外しは内容の編集ではない。(加えて編集機能は連合先の対応状況が悪い。)
・ 本文の末尾にタグを列挙されると見た目すごく悪い。数十個付けてる投稿を見掛ける。でもタグでしか検索できない以上、責められない。
・ こういう「自称タグ」は投稿者本人に一任されるから手違いや悪意に非常に弱くて、検索結果が簡単に荒れる。これに頼るシ組みは頼りない。
例えばニコニコ動画や Pixiv のタグは投稿した後で付けたり外したりできるし、投稿者以外も寄与できる。(これまた荒らされる可能性があるけど。投稿者以外によるタグ編集を拒否する機能も併せて用意するのが一般的。)
実用上、ただの呟きのタグ編集を他人に開放する意義はあまりなさそう。どちらかというと、作品を載せる時かな。
ツイッターでも思ったけど、作品展示の為のツイートと、呟きのツイートは全然性質が違って、同じ枠に収まる事に無理を感じていた。(だから私は、ツイッターを作品展示場所とは見なさないと宣言してずっと過ごしたんだけど。絵を描いたら載せるけど、それは絵を描いたというライフログに過ぎない。展示の為ではない。)
で、ActivityPub で繋がる Fediverse っていうのは、まさしくその全然違う物を同じ枠に入れる世界なんだけど。
ツイッターが作品展示場所として無理なのは、見せ方が固定されているからか。ActivityPub でやり取りされる個々の投稿は、どこからどう見てもいい。Mastodon から覗けばツイートっぽく見えるけど、別の並べ方で別の見方をする自由もある。(話が逸れてきた。)
Mastodon の画面で投稿するには Mastodon のアカウントでなければいけないという事に不自由を感じ始めた。例えば Pixelfed を Pixiv の代わりに使うとして、Mastodon から書いた呟きと、Pixelfed で展示した絵画が同じアカウントに帰属すると嬉しいんだけど、そういう作りにはなっていない。アカウントは分かれる。
Mastodon の代替フロントエンドとして、画像主体の見方になる物が使えればいいのか。
私は全てを集約したい人なので、「アカ分け」しようとする人の正反対ですね。アカウント分ける考え方をすべきなんだろうか。
話を戻すと、投稿のタグ編集を他人に開放する件は「同じサーバー内の他人」という範囲を指定できるといいかも。同じモデレーション内なら任せやすい。